「そんなことがあったのか? 大変だったんだな……。それで怪我の方は大丈夫だったのか?」オリビアの鞄を手にしたマックスは心配そうに尋ねてきた。オリビアが怪我をしていることに気付いたマックスが持ってくれているのだ。「ええ、これくらい平気よ。だってアデリーナ様を助けることが出来たのだから。これくらいどうってことないわ」「ふ~ん。余程彼女を崇拝しているんだな。周囲からは物事をはっきり言う強気な性格だから赤髪の悪女として恐れられているのに」その話にオリビアはカチンとくる。「ちょっと待って、誰が赤髪の悪女ですって? アデリーナ様みたいな優しい方にそんなこと言わないでちょうだい。それにあんなに美しい赤い髪は見たことが無いわ」「そうか、悪かったよ」マックスは苦笑すると話題を変えてきた。「ところでオリビア、今度はいつ頃店に来れそうか? 実は授業中に新作を思いついたんだよ。オリビアアに食べて貰って感想をもらいたいんだ」「そうねぇ……今日は雨だから無理そうね。やんだら行くわよ」話を続けながら、馬繋場へ到着すると何人かの学生たちが迎えの馬車を待っていた。外は相変わらずザアザァと雨が降り続いている。マックスは周囲を見渡した。「雨だから迎えの馬車も遅れているのかもな」「ええ、そうね」その時――「マックス、それにオリビアじゃないか?」声をかけられて2人で振り向くと、意外なことに声をかけてきたのはギスランだった。「どうしてオリビアがここにいるんだ? 2人は知り合いだったのか?」ギスランは近付きながら尋ねると、マックスは頷いた。「ああ、彼女は俺の店の客なんだよ」「食事に行ったとき、知り合いになったのよ」「へ~そうだったのか。それにしてもオリビアがこんな場所に来るなんて珍しいじゃないか。いつもなら雨の日は辻馬車を使っているだろう?」珍しい物でも見るかのようにギスランはジロジロとオリビアを見つめる。「今日は馬車を出して貰えたのよ」オリビアは詳しく説明するのが面倒だったので素っ気なく答た。生まれ変わった彼女は、不躾なギスランの視線を鬱陶しく感じていたのだ。そのことが自分自身、不思議でならない。(ほんの少し前までは、話しかけて貰えることだけでも嬉しかったのに……ギスランを鬱陶しく感じるなんて自分でも驚いてしまうわ)「ギスラン、彼女はお前の婚約者なんだ
時々雷がゴロゴロとなる土砂降りの中、馬車はフォード家の屋敷前に到着した。「オリビア様、足元に気をつけて降りて下さい」御者に扉を開けてもらい、馬車から降り立ったオリビアは銀貨1枚を御者に差しだした。「今日は大雨の中、送迎してくれてありがとう。はい、これ少ないけど何かの足しにしてちょうだい」フォード家では給料以外で普通、使用人に余分なお金を渡すことはない。当然オリビアの行動に御者は驚く。「ええっ!? これはぎ、銀貨じゃありませんか! よろしいのですか!? こんなに頂いても!」青年御者――テッドは歓喜した。何しろ銀貨1枚というのは、一か月分の給料の5分の1に相当する金額だからだ。当然、賢いオリビアはその事を知っている。それに彼には近々結婚を考えている女性がいて、お金を貯めていると言う噂話も承知の上だ。「いいのよ、これは大雨の中身体を張って送迎してくれた手当てだから。その代わり、これからも天候が悪いときは送ってくれるわよね? テッド」オリビアが笑顔で頷くと、テッドは声高に叫んだ。「俺の名前も御存知だったのですか!? ええ、ええ! 当然ですとも! 今後はこの命を懸けてでも、オリビア様を目的地に必ず送り届けることを誓います!」「そう? それは頼もしい言葉ね。今日はお疲れ様。じゃあね」「ありがとうございます! ありがとうございます!」テッドはオリビアが屋敷の中に入るまで、ペコペコ頭を下げ続けた。こうしてまた1人、オリビアは使用人を味方につけることに成功したのだった――屋敷に入り、自室に向かって歩いていると次々と使用人達が挨拶してくる。「お帰りなさいませ、オリビア様」「オリビア様、お帰りなさいませ」「オリビア様にご挨拶申し上げます」今や彼女を無視したり、暴言を吐くような使用人は誰一人いない。たった1日で使用人の態度がこんなに変わるのは、驚きでしかなかった。勿論今朝のオリビアの行動が事の発端でもあるのだが、父ランドルフと兄ミハエルが、今後一切オリビアを無視したり蔑ろにしないようにと密かに命じていたのが大きな理由の一つであったのだが……その事実を彼女はまだ知らない。自分の部屋に辿り着いたオリビア。ドアノブに手をかけようとした時、背後から声をかけられた。「オリビア」「え?」振り向くと、兄のミハエルが笑顔で自分を見つめている。オリビ
—―18時 オリビアは自室で大学のレポートを仕上げていた。このレポートは単位に大きく関わってくる。アデリーナの助言によって、大学院進学を決めたオリビアにとっては重要なレポートだ。「……ふぅ。こんなものかしら」ペンを置いて一息ついたとき。—―コンコンノック音が響いた。「誰かしら?」大きな声で呼びかけると扉がほんの少しだけ開かれて、トレーシーが顔を覗かせた。「オリビア様……少々よろしいでしょうか?」「ええ、いいわよ。入って」「失礼します」かしこまった様子で部屋に入って来たトレーシーは深刻そうな表情を浮かべている。「トレーシー。どうかしたの?」「あの、実は旦那様がお呼びなのですが……」「え? お父様が?」今迄オリビアは個人的に父に呼び出されたことはない。ひょっとすると、今朝の出来事で何か咎められるのだろうか……そう考えたオリビアは憂鬱な気分で立ち上がった。「分かったわ。書斎に行けばいいのね?」「いえ、違います。ダイニングルームでお待ちになっていらっしゃいます」「え? ダイニングルームに?」「はい、そうです」「おかしな話ね……今まで食事の時間に呼ばれたことはないのに」「そうですよね……」オリビエとトレーシーは顔を見合わせた——**「お待たせいたしました。お父……さ……ま?」ダイニングルームに入ってきたオリビアは驚いた。何故なら真正面に父——ランドルフが満面の笑みを浮かべて待ち受けていたからだ。父の左右には給仕を兼ねたフットマンが立っている。しかも、いつも着席しているはずの義母、シャロン、兄ミハエルの姿も無い。「おお、待っていたぞ。オリビア、さぁ。席に着きなさい」ランドルフは自分の向かい側の席を勧めてくる。「はぁ……失礼します」そこへ、スッとフットマンが近づくとオリビアの為に椅子を引いた。これも初めてのことだった。何しろこの屋敷の使用人達は全員オリビアを見下していたのだから。「……ありがとう」慣れない真似をされたオリビアは落ち着かない気持ちで礼を述べる。「いいえ、とんでもございません」ニコリと笑うフットマン。……彼は今まで一度もオリビアに挨拶すらしたことが無い使用人だ。「よし、それでは早速食事にしようか?」ランドルフの言葉と同時にワゴンを押したメイドが現れ、次々に料理を並べていく。どれも出来たて
「はぁ、そうですか……」別にありがたみもない提案に、適当に返事をするオリビア。(さっさと食事を終わらせて、早々に席を立った方が良さそうね)無駄な会話をせずに食事に集中しようとするオリビアに、父ランドルフは上機嫌で色々話しかけてくる。煩わしい父の言葉を「そうですか」「すごいですね」と、適当に相槌を打って聞き流していたオリビアだったのだが……。「ところでオリビア、昨日町へ1人で食事へ行っただろう? 何という店に行ったのだ? 私にも教えてくれ。是非その店に行ってみたいのだよ。私が行けば店の宣伝にもなるしな」この台詞に、オリビアは耳を疑った。「……は?」カチャンッ!手にしていたフォークを思わず皿の上に落としてしまう。「どうした? オリビア」娘の反応にランドルフは首を傾げる。「お父様、今何と仰ったのでしょうか?」「何だ、よく聞きとれなかったのか? 昨日お前が食事をしてきた店を教えてくれと言ったのだが」「そうですか……では、そのお店に行かれた後はどうなさるおつもりですか?」オリビアは背筋を正すと父親を見つめる。「それは勿論食事をするだろうなぁ」「なるほど、お食事ですか……それで、その後は?」「は? その後って……?」まるで尋問するかのような口ぶり、いつにもまして鋭い眼差し……ランドルフはオリビアから、何とも形容しがたい圧を感じ始めていた。「答えて下さい、食事をした後の行動を」「そ、それは……味の評価を書く為に記事を書くだろうな……」(な、何なんだ……オリビアの迫力は……当主である私が娘に圧されているとは……)いつしかランドルフの背中に冷たい物が流れていた。そんなランドルフにさらにオリビアは追い打ちをかける。「はぁ? 記事を書くですって? 一体どのような記事を書くおつもりですか?」「そんなのは決まっているだろう。美味しければそれなりの評価を下すし、まずければ酷評を書くだろう。何しろ、こちらは金を支払って食事をするのだから当然のことだ。私の責務は世の人々に素晴らしい料理を提供する店を知ってもらうことなのだから」娘の圧に負けじと、ランドルフは早口でぺらぺらとまくしたてる。「お店から賄賂を受け取って、ライバル店をこき下ろすことがですか?」「う! そ、それは……ほんの特例だ! あんなことは滅多に起こらないのだよ!」「滅多にどころ
「ふぅ……今日は充実していたけど、何だかとても疲れた1日だったわ。こんな時はアレね」入浴を終えて、自室に戻って来たオリビアは事前にトレーシーが用意してくれていたワインをグラスに注いで香りを楽しむ。「フフ、いい香り」カウチソファに座り、アデリーナが勧めてくれた恋愛小説を手に取った時。—―ガチャッ!乱暴に扉が開かれ、義母のゾフィーがズカズカと部屋の中に入ってくるなり怒鳴りつけてきた。「オリビアッ! 一体今まで何処へ行っていたの! 私は何度もこの部屋に足を運んだのよ? 手間をかけさせるんじゃないわよ!」いきなり入って来たかと思えば、耳を疑うような話にオリビアは目を見開いた。「は? ノックもせずに部屋に入って来たかと思えば、一体何を言い出すのですか? まさか人の留守中に勝手に部屋に出入りしていたのですか?」「ええ、そうよ! これでも私はお前の母なのよ! もっとも血の繋がりは無いけどね。娘の部屋に勝手に入って何が悪いのよ」ゾフィーは文句を言うと、向かい側の席にドスンと腰を下ろした。「血の繋がりが無いのだから、私たちは他人です。大体、今まで一度たりとも私を娘扱いしたことなど無かったではありませんか!」「おだまり! オリビアのくせに! 戸籍上は親子なのだから、私はお前の母親なのよ! その親に対して口答えするのではない!」「はぁ? 今朝、散々シャロンに罵声を浴びせられていましたよね? そのセリフ、私にではなく、むしろシャロンに言うべきではありませんか?」「シャロンは部屋に鍵をかけて、閉じこもってしまったのよ! 取りつく島も無いのよ! 今はそんな話をしに来たわけじゃないわ。オリビアッ! お前、一体私たちに何をしたの! 何の恨みがあって、家庭を崩壊させたのよ!」あまりにも八つ当たり的な発言に、オリビアは怒りを通り越して呆れてしまった。「一体先程から何を言ってらっしゃるのですか? 意味が分かりません。大体元からいつ壊れてもおかしくない家族関係だったのではありませんか? そうでなければ簡単に崩壊したりしませんから。念の為、言っておきますが私には全く関係ない話です」「関係ないはずないでしょう!? さっきも父親と2人きりで楽しそうに食事をしていたでしょう? 一体何の話をしていたの! 言いなさい!」ビシッとゾフィーは指さしてきた。「あぁ……成程。つまり私と
「分かりました。お父様とどのような話をしたのか、お話いたします」「そうよ! 早く言いなさい!」ゾフィーは身を乗り出してきた。「ですが、その前に条件があります。その条件を飲んでくれない限り、お話することは出来ません」「どんな条件よ? お金でも欲しいのかしら? いくら欲しいのよ」「お金? そんなものは別にいりません。条件は一つだけです。私の話が終わったら、一切の質問もせずに即刻この部屋を出て行って下さい。いいですか?」「分かったわよ。それじゃ、どんな話をしていたのか言いなさい!」膝を組み、腕を組む。何処までも高飛車な態度のゾフィー。「お父様は、言ってましたよ。もう我が家は家庭崩壊だ、あんな家族と一緒の食事は楽しめないからごめんだと。これからは私と2人で食事をしようと提案してきたのです」(もっとも、そんな提案私はお断りだけどね)その話に、見る見るうちにゾフィーの顔が険しくなっていく。「な、な、何ですって……? ランドルフがそんなことを……? ちょっと! それは一体どういう……!」「そこまでです!」オリビアはゾフィーの前に右手をかざし、大きな声をあげた。その声に驚き、ゾフィーの肩が跳ねあがる。「ちょ! ちょっと! そんな大きな声を上げないでちょうだい! 驚くでしょう!?」「そこまでです。先ほどの私との約束をもうお忘れなのですか? 話を聞いた後は一切の質問もせずに即刻この部屋を出て行くと言う約束を交わしましたよね?」「う……お、覚えているわよ!」「だったら、今すぐ出て行って下さい。何か言いたいことがあるなら私にではなく、父に言っていただけますか?」「な、何ていやな娘なの!? ランドルフに聞けないから、お前の所に来たっていうのに……!」「頼んでもいないのに、勝手にこの部屋に来たのはどちら様でしょうか? とにかく、約束は守って頂きます。今すぐに出て行って下さい」オリビアはゾフィーを見据えたまま、部屋の扉を指さした。「くっ! オリビアのくせに生意気な……! ええ分かりましとも! 出て行くわよ! 出て行けば良いのでしょう!? 全く……ちょっとランドルフに贔屓にされたからって、いい気になって!」椅子に座った時と同様に、ガタンと大きな音を立ててゾフィーは立ち上がった。「……お邪魔したわね!」「ええ、そうですね」睨みつけるように見下ろすゾ
—―翌朝 静かなダイニングルームに向かい合わせで座るランドルフとオリビアは無言で食事をしていた。ランドルフは先ほどからチラチラとオリビアの様子を伺っている。娘に話しかけるタイミングを計っているのだが、オリビアは視線を合わせる事すらしない。何とか会話の糸口をつかみたいランドルフは、そこで咳払いした。「ゴ、ゴホン!」「……」しかし、オリビアは気にする素振りも無く食事を続けている。ついに我慢できず、ランドルフは声をかけた。「オ、オリビアッ!」「……はい、何でしょう」顔を上げるオリビア。「どうだ? オリビア。今朝の朝食はお前の好きな料理を用意したのだが……美味しいかね?」「はい、美味しいです。ですがこのボイルエッグも、ブルーベリーのマフィンにグリーンスープはシャロンの好きなメニューではありませんか?」「何? そうだったか?」「ええ、そうです。私は卵料理なら、オムレツ。ブルーベリーのスコーンに、オニオンスープが好きです。尤も、一度もお父様に自分の好きな料理を聞かれたことはありませんので、ご存じありませんよね?」「そ、そうか……それはすまなかったな」途端にしおらしくなるランドルフ。「いえ、私は何も気にしておりませんので謝る必要はありません。それにどの料理も全て美味しいですから」「本当か? なら良かった。だが、オリビア。今回の件で私は良く分かった。この屋敷の中で、まともな家族はお前だけだということをな。今まで蔑ろにしてきた私を許してくれるか? これからは心を入れ替えて、お前を尊重すると約束しよう」「はぁ……」オリビアは呆れた様子で父親の話を聞いていた。(一体今更何を言っているのかしら? 生まれてからずっと、私の存在を無視してきたくせに。もうこれ以上話を聞いていられないわ。丁度食事も終わった事だし、退席しましょう)「お父様。食事もおわりましたし、これから大学へ行くのでお先に失礼します」椅子を引いて席を立ったところで、ランドルフが呼び止める。「ちょっと待ってくれ! オリビアッ!」「何でしょうか? まだ何かありますか?」内心辟易しながら返事をする。「ああ、ある。昨夜の件の続きだが……頼むオリビア! この間お前が食事してきた店を教えてくれ! この通りだ! 最近新聞社から、催促されているのだ! 若い世代に人気の定番料理に関するコラムを書い
大学へ行く準備を済ませ、オリビアエはエントランスへ向かった。「おはようございます。オリビア様」「これから大学ですか?」「お気をつけて行ってらっしゃいませ」すれ違う使用人たちが丁寧にオリビアに挨拶をしていく。これはオリビアにとって、ちょっとした驚きだった。(まさか、ここまで周りが変わるなんて本当に驚きだわ。今まで皆挨拶どころか、すれ違いざまに悪口を言う使用人が多かったのに。やっぱりアデリーナ様の言う通り、我慢する必要は無かったということよね)エントランスに到着したので、オリビアは上機嫌で扉を開けた。 すると目の前に馬車が待機しており、笑顔のテッドの姿がある。「まぁテッド。一体どうしたの? まさか私を馬車で送ろうと思って待っていたの?」「はい、そのまさかです。今朝は昨夜降り続いた雨のせいで道がぬかるんでいます。自転車で通学するのは大変かと思い、お迎えにあがりました」ニコニコ笑顔のテッド。「送ってもらって良いのかしら? 私の他に今日は誰か馬車を使うかもしれないのに?」「馬車はあと2台ありますし、御者も2人います。俺がオリビア様をお乗せしても大丈夫ですよ」「それはなんとも頼もしい言葉ね。だったら今日も乗せてもらうわ」オリビアは早速馬車に乗り込んだ――**** 馬車が大学敷地内にある馬繋場に到着した。「送ってくれてどうもありがとう」馬車を降りると、テッドに礼を述べるオリビア。「いえ、お礼なんて結構です。俺の仕事ですから。それではまた帰りの時間にお迎えにあがりますね」「ありがとう。それじゃ行ってくるわ」オリビアはテッドに手を振り、校舎へ向かった。 「オリビアッ!」廊下を歩いていると、背後から大きな声で名前を呼ばれた。「あら、ギスラン。おはよう。珍しいわね、貴方が私を呼び止めるなんて」「何だよ。嫌味のつもりか?」ギスランの顔に不機嫌そうな表情が浮かぶ。「別に嫌味のつもりじゃないけれど……私に何の用かしら?」「実は、オリビアに聞きたいことがあるんだが……昨夜、フォード家に電話を入れたんだよ」「え? 電話? そんな話、知らないわよ?」「知らないのは当然だろう。何しろ、俺はシャロンに電話を繋いでもらうためにかけたんだから」「え? シャロンに?」婚約者のオリビアを前にして、悪びれる素振りも無く堂々と語るギスラン。(仮に
ランドルフ、ミハエル、ゾフィーが逮捕されて一カ月後――「オリビア様、お疲れ様です。お茶を煎れて参りました」専属メイドのトレーシーが紅茶を運んで書斎に現れた。「ありがとう、トレーシー」書類から顔を上げ、オリビアは笑みを浮かべる。「どうぞ」机の上に置かれた紅茶を早速口にした。「……美味しい、ありがとう」「いえ。それでお仕事の方はいかがですか?」「そうねぇ。学業との併用は中々大変だけど、領地を運営するのも当主である私の役目だから頑張るわ」 ランドルフもミハエルも不正を働いた罪で、フォード家は危うく爵位を取り上げられそうになった。しかし侯爵家のアデリーナの口添えと、フォード家に唯一残されたオリビアが優秀ということもあり、取り潰しが無くなったのである。そして今現在、オリビアがフォード家の女当主とし切り盛りしているのであった。「でも大学院にいかれないのは残念ですね」「あら、そんなことはもういいのよ」トレーシーの言葉に、オリビアは首を振る。「え? よろしいのですか?」「勿論よ。第一、私が大学院に行こうと思っていたのは、家族や私を見下す使用達と暮らしたくは無かったからよ。けれど家族は一人残らず出て行ったし、私を見下す使用人はもう1人もいないわ」「ええ、確かにそうですね。今や、この屋敷の使用人達は全員、オリビア様を尊敬しておりますから」「そういうこと。だから、もうこの家を出る必要が無くなったのよ。それに大学院にいこうとしていたのはもう一つ理由があるのよ。より高い学力があれば、就職に有利でしょう? だけど今の私はフォード家の当主という重要な立場にあるの。つまり、もう仕事も持っているということになるわよね?」「ええ、確かにそうですね。ところでオリビア様、本日は卒業式の後夜祭が行われる日ですよね? そろそろ準備をなさった方が良いのではありませんか?」書斎の時計は15時を過ぎたところだった。後夜祭は19時から始まる。「そうね。相手の方をお待たせしてはいけないものね。トレーシー、手伝ってくれる?」「ええ。勿論です」トレーシーは笑顔で頷いた――****――18時半ダークブロンドの長い髪を結い上げ、オレンジ色のドレスに身を包んだオリビアは後夜祭のダンスパーティーが行われる会場へとやって来た。既に色とりどりの衣装に身を包んだ学生たちが集まり
大学から帰宅したオリビアは異変を感じた。屋敷の前に見たこともない馬車が3台も止められているのだ。「あら? あの馬車は一体何かしら?」いやな予感を抱きながら、扉を開けて驚いた。エントランスには大勢の使用人が集まっていたのだ。「あ! オリビア様! お帰りなさいませ!」「お待ちしておりました! オリビア様!」使用人達が口々にオリビアに挨拶してきた。「ただいま。一体、これは何の騒ぎなのかしら?」すると一番古株のフットマンが手を上げた。「私から説明させて下さい。実は先程、警察の方達がいらしたのです」「え!? 警察!? ど、どうして警察が……って駄目だわ、思い当たることが多すぎるわ」片手で額を抑えてため息をつく。今は屋敷を追い出されてしまったが、義母のゾフィーは違法賭博にのめりこんでいた。兄のミハエルは裏金を積んで王宮騎士団に裏口入団し、父ランドルフは裏金を貰って、でたらめなコラムを書いていたことで閉店に追いこんだ飲食店もあるのだ。「それでは、屋敷の前に止められた馬車は警察の馬車ということね? それで警察の人達は何処にいるのかしら?」「はい、皆さんは旦那様とミハエル様、それにゾフィー様の部屋にいらしています」「何ですって!? 全員なのね!? もしかしてお父様だけかと思っていたけれど……とにかく、挨拶に行った方が良さそうね」そのとき。「いえ、それには及びませんよ」背後で声が聞こえて、オリビアは振り返った。すると10人以上の警察官が、紙袋やら箱を手にしている。「失礼、あなたはこちらの御令嬢でいらっしゃいますか?」先頭に立ち、口ひげを生やした警察官がオリビアに尋ねてきた。「はい、私はこの屋敷に住むオリビア・フォードです」「留守中にお邪魔してしまい、大変申し訳ありません。実はフォード家の人々に買収と賭博の容疑がそれぞれかけられまして、証拠物を押収させていただきました」「そうでしたか。ご苦労様です」ペコリと頭を下げると、警察官は不思議そうにオリビアを見つめる。「あの、何か?」「いえ、随分冷静だと思いまして。驚かれないのですかな?」「ええ、勿論驚いています。それで証拠が見つかればどうなりますか?」「勿論賭博も買収も犯罪ですからね。逮捕されるのは時間の問題でしょう。既にランドルフ氏は連行されていきましたから」その言葉に、オリビアはニ
その日の昼休みのことだった。「アデリーナ様!」大学併設のカフェテリアで待ち合わせの約束をしていたオリビアは、こちらに向かってくるアデリーナに笑顔で手を振った。「オリビアさん、遅れてごめんなさい」小走りで駆け寄って来たアデリーナが謝罪する。「そんな、謝らないで下さい。私もつい先ほど到着したばかりですから」本当はアデリーナに会うのが待ちきれずに15分程早く到着していたが、そこは内緒だ。「フフ、そうなの? それじゃ中へ入りましょうか?」「はい!」オリビアは大きく返事をすると、2人は店の中へ入った。「あら、結構混んでいるのね?」カフェテリア内は多くの学生たちで溢れ、空席が見当たらなかった。「その様ですね。アデリーナ様、他の店に行きましょうか?」そのとき。「アデリーナ様! 私達もう食事が終わったので、こちらの席をどうぞ!」すぐ近くで声が聞こえた。見ると、2人の女子学生が食事の終わったトレーを持って手招きしている。そこで早速、オリビアとアデリーナは女子学生たちの元へ向かった。「どうも私たちの為に席をありがとうございます」「ありがとうございます」アデリーナが丁寧に挨拶し、オリビアも続けて挨拶した。「いいえ、私達アデリーナ様のファンですから」「お役に立てて嬉しいです」女子学生たちは笑って去っていき、その姿をオリビアは呆然と見つめていると、アデリーナが声をかけてきた。「オリビアさん、食事を選びに行きましょう」「は、はい!」返事をしながらオリビアは思った。アデリーナのような人気のある女子学生と、子爵家の自分が一緒にいてもいいのだろうか――と。** 食事が始まると、早速話題はミハエルの話になった。ミハエルがアデリーナの兄、キャディラック侯爵にズタボロにされ、王宮騎士団をクビにされたこと。帰宅してみると大泣きしして暴れた後に、開き直って引きこもり宣言をしたものの、父から『ダスト村』への追放宣言を受けた事。そして夜明け前に幾人かの使用人を連れて旅だったことをかいつまんで説明した。「まぁ! たった1日でそんなことがあったのね? でも、何だか申し訳ないわ……オリビアさんのお兄様が追放されたのは、兄のせいなのだから」アデリーナは申し訳なさそうにため息をつく。「そんな! アデリーナ様は何も悪くありません。私が望んだことですし、そ
いつものように自転車に乗って大学に到着したオリビア。1時限目の授業が行われる教室へ行ってみると、入り口付近にマックスがいた。彼はオリビアの姿を見つけると、笑顔で手を振ってくる。「オリビア!」「おはよう、マックス。どうしてここにいるの? ひょっとして同じ授業を受けていたかしら?」「いいや、俺はこの授業を受けていない。オリビアを待っていたのさ」「そうだったのね。でも良かったわ。私も丁度あなたに会いたいと思っていたのよ」「え? 俺にか?」「ええ、そうよ!」そしてオリビアはマックスの右手を両手でしっかりと握りしめた。「お、おい! どうしたんだよ?」顔を赤らめて狼狽えるマックス。「ありがとう! 全て貴方のお陰よ! 感謝するわ」「え? 俺のお陰……?」「そうよ。父が裏金を受け取って、全くでたらめなコラムを書いていたことを暴露してくれたのでしょう?」「まさか……もう新聞に載っていたのか!?」「ええ、今朝食事の席で父が新聞を凝視していたのよ。何を読んでいるのかと思えば、自分に関する記事だったのよ。散々な事を書かれていたわ。コラムニストの職を失ったばかりか、この町全ての飲食店を出入り禁止にされたそうなの。それが一番ショックだったみたいね」「そうか……実は新聞社の知り合いに記事の件を頼んだと伝える為にオリビアを待っていたんだが、まさかもう記事になって出回っていたとは思わなかったな」マックスは感心したように頷く。「もしかして、薄々気付かれていたんじゃないかしら? それですぐ記事にすることが出来たのよ。そうに違いないわ」「やけに嬉しそうだな。だけどオリビアはそれでいいのか?」「え? 何のことかしら?」「決まっているだろう? 仮にも父親だろう? 自分の親が窮地に立たされているのに、オリビアはそれで大丈夫なのか?」「ええ、勿論よ」「げっ! 考える間もなく即答かよ……」「だって私は生まれた時からずっと、フォード家で酷い扱いを受けてきたのよ。父からは無視され、兄からは憎まれ、義母や義妹に使用人達すら私を馬鹿にしてきたのよ。だからもうフォード家がどうなっても構わないわ」「そうか……中々闇が深いんだな」腕組みしてマックスが頷く。「だからアデリーナ様には本当に感謝しているの。私が変われたのは、あの方のお陰だもの」「なるほどな……それじゃ、俺は…
「そう言えばお父様。先程熱心に新聞を読んでおられましたが、何か気になる記事でもあったのですか?」珍しく食後のお茶を飲みながら、オリビアはランドルフに尋ねた。「ギクッ!」ランドルフの肩が大きく跳ねる。「ギク……? 今、ギクと仰いましたか?」「あ、ああ……そ、そうだったかな……?」かなり動揺しているのか、ランドルフは自分のカップにドボドボと角砂糖を投入し、カチャカチャとスプーンで混ぜた。「あの、お父様。さすがにそれは入れ過ぎでは……?」しかし、ランドルフは制止も聞かず、グイッとカップの中身を飲み干す。「うへぇ! 甘すぎる!」「当然です。先程角砂糖を7個も入れていましたよ。それよりもその動揺具合……さては何かありましたね? 一体何が新聞に書かれていたのですか?」オリビアはテーブルに乗っていた新聞に手を伸ばす。「よせ! 見るな!」当然の如く、新聞を広げて凝視するオリビア。「……なるほど……そういうことでしたか」新聞記事の中央。つまり一番目立つ場所にはランドルフの顔写真付きの記事が載っていた。『ランドルフ・フォード子爵、別名美食貴族。裏金を受け取り、実際とは異なる飲食店情報を記載。被害店舗続出』大きな見出しで詳細が詳しく書かれている。(マックス……うまくやってくれたみたいね)オリビアは素知らぬ顔でランドルフに尋ねた。「お父様、こちらに書かれている記事は事実なのですか?」「……」しかし、ランドルフは口を閉ざしたままだ。「お父様、正直にお答えください」すると……。「そう、この記事の言う通りだ! 私は『美食貴族』として界隈で名高いランドルフ・フォードだ! 私のコラム1つで、その店の評判が決まると言っても過言では無い! 店の評判を上げて欲しいと言ってすり寄ってくるオーナーや、ライバル店を潰して欲しいと言って近付く腹黒オーナーだって掃いて捨てる程いる! だから私は彼らの望みを叶える為にコラムを書いてやった! これも人助けなのだよ!」ついにランドルフは開き直った。「それなのに……一体、どこで裏金の話がバレてしまったのだ……? そのせいで、もう私は『美食貴族』の称号と、コラムニストの副業を失ってしまった。それだけではない、この町全ての飲食店に出入り禁止にされてしまったのだよ! もし入店しようものなら……け、警察に通報すると! もう駄目
翌朝――朝食の為にオリビアがダイニングルームへ行くと、既にランドルフが席に着いて新聞を食い入るように見つめていた。食事の席は父とオリビアの分しか用意されていない。オリビアが席に着いてもラドルフは気付かぬ様子で新聞を読んでいる。(一体、何をそんなに熱心に読んでいるのかしら?)訝しく思いながら、オリビアは声をかけた。「おはようございます、お父様」「え!?」ランドルフの肩がビクリと大袈裟に跳ね、驚いた様子で新聞を置いた。「あ、ああ。おはよう、オリビア。それでは早速食事にしようか?」「はい、そうですね」そして2人だけの朝食が始まった――「あの……お父様。聞きたいことがあるのですが、よろしいですか?」食事が始まるとすぐにオリビアはランドルフに質問した。「何だ?」「今朝はお兄様の姿が見えませんね。まさか、もうここを出て行かれたのですか?」「そのまさかだ。ミハエルは夜明け前に自分が選別した幾人かの使用人を連れて、屋敷を去って行った。多分、もう二度とここに戻ることはあるまい」オリビアがその話に驚いたのは言うまでもない。「何ですって? お兄様が1人で『ダスト』村へ行ったわけではないのですか?」「私もミハエル1人で行かせるつもりだった。だが、あいつは絶対に自分一人で行くのは無理だと駄々をこねたのだ。身の回りの世話をする者がいなければ生きていけるはず無いだろうと言ってな。いくら言っても言うことをきかない。それで勝手にしろと言ったら、本当に自分で勝手に使用人を選別して連れて行ってしまったのだよ」そしてランドルフはため息をつく。「そんな……それでは誰が連れていかれたかご存知ですか?」「う~ん……私が分かっているの2人だけだな。1人はミハエルの新しいフットマンになったトビー。もう1人は御者のテッドだ。後は知らん」「えっ!? トビーにテッドですか!?」「何だ? 2人を知っているのか?」「え、ええ。まぁ……」知っているどころではない。トビーをミハエルの専属フットマンに任命したのはオリビア自身だ。そして御者のテッドは近々結婚を考えている女性がいるのだから。「何て気の毒な……」思わずポツリと呟く。「まぁ、確かに『ダスト』村は何にも無いさびれた村だ。だが、存外悪くないと思うぞ? トビーは身体を動かすのが大好きな男だ。あの村は開拓途中だからな、
「そ、そんな! それだけのことで追い出すなんて、俺は何処に行けばいいのです!? まだ卒業もしていないし、無職決定なのに! それに、第一俺がここを出て行ってしまったら誰がフォード家の後を継ぐのです!?」ワインの注がれたグラスを手にしたまま、喚くミハエル。かなり興奮しているのか、グラスのワインが今にもこぼれそうなほどに揺れている。「卒業だと!? お前はもう退学だ! もはやお前の居場所はここにはないのだ!」ランドルフがビシッとミハエルを指さす。「酷いじゃないですか! 来月卒業なのですよ? 中退なんて恥ずかしいです! せめて卒業くらいさせて下さいよぉ! 働き口を無くしてしまった哀れな息子を追い出さないで下さい! 俺がどこかで野垂れ死んでしまってもいいのですか!?」「黙れ! 大学に残る方が余程恥ずかしい事だと思わないのか!? 後ろ指をさされ、踏みつけ、詰られて石をぶつけられても良いのか!? 退学はお前の為でもあるのだ!」青筋を立てながら怒鳴るランドルフ。その様子をオリビアはワインを飲みながら冷静に見つめていた。(さすがにそこまではされないのじゃないかしら。でも中退させるのが兄の為だと言っているけれども……嘘だわ。きっと大学ヘそのまま通わせるのはお金がもったいないと思っているのよ)2人の言い合いはまだ続き、無言で食事を続けるオリビア。(全く、うるさい2人ね……さっさと食事を終わらせて退席しましょう)ランドルフもミハエルもワインを飲みながら口論するので、徐々にヒートアップしてきた。「分かりました……それでは百歩譲って、退学をするとしましょう。ではその後は? 追い出された俺は一体どこで暮らせばいいのです!」そしてミハエルはグイッとワインを飲み干す。「そんなのは知らん! ……と、言いたいところだが私もそこまで鬼ではない。ミハエルよ。お前には『ダスト』の村へ行ってもらう! あの村もフォード家の領地であることは知っているな!」「え……? 『ダスト』村……? ひょっとしてまだあの村が残っていたのですか!」ミハエルが目を見開く。『ダスト』村はの話はオリビアも聞いたことがある。フォード家は広大な土地を所有していたが、ぺんぺん草すら生えない荒地が半数を占めている。その中でも特に『ダスト』村は最も貧しい村だった。畑を耕しても、瘦せた土地ではサツマイモやジャガ
――その日の夕食の席のこと。フォード家では基本、食事は家族と一緒にという家訓の元、オリビアは嫌々ダイニングルームへやってきた。「よぉ、オリビア。待っていたぞ」テーブルには「引きこもり宣言」をした兄、ミハエルが陽気な声で挨拶してくる。既に引きこもり生活に突入したつもりでいるのか、襟元がだらしなく着崩れた姿の兄を見て、オリビアは眉を顰める。「お兄様、もうテーブルに着いていたのですね。お早いことで」嫌味を込めて言ったつもりだが、ミハエルには通用しない。「まぁな。俺は今日から引きこもりになると決めたから暇人なんだ。今や、一番の楽しみは食事になってしまった。だからいち早くここに来たと言う訳さ。それにしても見て見ろ。今夜は御馳走だぞ?」「確かにそうですね……」着席しながらテーブルに並べられた料理を見つめるオリビア。フォード家の食事はもともと豪華だが、今夜はいつも以上に豪華だ。しかも料理の品数も2~3品多い。(どうして今夜はこんなに食事が豪華なのかしら……? まるでお祝いの席みたい)そこまで考え、ハッとした。(まさか、お父様は兄が王宮騎士団から追放されて、引きこもり宣言をしたことに気付いていないのかしら?)「それにしても、一体今夜はどうしたっていうのだろう? まるで祝いの席の様だ。ひょっとして俺の引きこもり生活の門出を祝う席でも設けてくれたのだろうか? いや、流石にそれはないだろう。ハッハッハッ!」まるでアルコールで酔っぱらっているような兄に、オリビアは思いっきり軽蔑の眼差しを向けた。「お兄様……ひょっとして夕食の前から既にお酒を召されているのですか?」「失敬な! 今の俺はシラフだぞ。それは確かに……王宮騎士団をクビにされ、帰宅した直後に少々ワインは飲んだが……今はとっくに、酔いは冷めている!」「はぁ……そうなのですね」つまり、ミハエルがあれ程吠えていたのは、酔いも手伝ってと言う事だったのだ。「それより、父は遅いな……いつもならとっくに席に着いているのに……」ミハエルがそこまで口にしたとき。「待たせたな」父、ランドルフがダイニングルームに現れて着席した。「それでは、早速食事にしよう」ランドルフの言葉に給仕達が現れ、温かい料理を運んでくる。その様子を嬉しそうにミハエルは眺めているが、父は浮かない顔をしている。(変ね……いつものお
「成程、引きこもりですか……?」オリビアは吹き出しそうになるのを必死に堪えながら頷く。何しろ王宮騎士団に入れるのは、全員貴族と決められている。国王直属の騎士になるのだから、当然と言えば当然のこと。その貴族たちの前で恥をさらされたのだから、ダメージは相当のものだろう。王宮騎士団に入団すると言うのは、大変名誉なことだった。高学歴も必要とされ、大学を卒業見込みの者がまず試験を受ける権利を貰える。脳筋バカでは国王に仕える者として、失格なのだ。毎年入団試験を受ける者は1000人を超えると言われている。まず、最初の筆記試験で半数が落とされ、剣術の実技試験で更に半数。最後の面接で半数が落とされると言われている。「お兄様、正直に話して下さい。いつの段階で、裏金を支払ったのですか?」未だにグズグズ泣くミハエルに静かに尋ねるオリビア。「グズッ……そ、そんなの決まっているだろう? 筆記試験の……段階で、金を支払ったんだよ! 裏口入団に顔の利くブローカーを見つけて……ウグッ! 悪いとは思ったが、家の金庫に深夜忍び込んで……ウウウウッ! 後で返済しようと思って……ヒグッ! 拝借したって言うのに……何も、何もあんな大勢の前で俺を糾弾して、排斥することはないじゃないか! せめて、人目のつかない所でやってくれればいいのにぃぃっ!! 俺はもう駄目だ!! 引き籠るしかないんだよぉおおおっ!! 誰だっ!! 密告した奴は!! ちくしょおおおお!!」年甲斐もなく涙を流しながら吠えまくるミハエルに、もはやオリビアは呆れて物も言えない。(密告したのは私だけど……それにしても呆れたものだわ。実力も無いのに、王宮騎士団に入ろうとしたのだから自業自得よ)けれど、これではうるさすぎて堪らない。そこでオリビアはミハエルを慰めることにした。「落ち着いて下さい、お兄様。確かに恥はかいてしまいましたが、私はこれで良かったと思いますよ?」「何でだよ!! 何処が良かったって言うんだよぉお!!」「だって、考えてみて下さい。お兄様は実力も伴わないのに、高根の花である王宮騎士団に入ろうとしたのですよ? 仮にこのまま騎士になれたとしても、いずれすぐにボロが出て不正入団が明るみに出ていたはずです。もしそうなった場合、国王を騙した罰として、不敬罪に問われて処罰されていたかもしれませんよ?」「な、何……不敬罪…